伝統と文化「能と狂言」1

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 伝統と文化「能と狂言」1

投稿日:2015年05月22日 09:00

◆能の歴史

六世紀中頃、中国から「雅楽」が上陸して、また、中国の様々な民間芸能
も流れ込んで、それらは「散楽」と呼ばれました。今も宮内庁に受け継がれ
ている「雅楽」といろいろな芸や技を寄せ集め演じられた大衆芸能であった
「散楽」は対極をなすものでした。「散楽」が庶民の間に徐々にひろまり、
その過程で「日本古来の芸能」と混ざり合って「猿楽」が流行します。

鎌倉時代には農耕儀礼から生まれた「田楽」がはやり、また僧侶たちが法
会のあとの宴でおこなった「延年」という寺院芸能も盛んになりました。こ
うした様々な芸能、踊り、歌などが混ざり合い、だいたい南北朝から室町時
代の初期にかけて「能」の原型のようなものができました。

室町時代、観阿弥、世阿弥親子によりこの原型が集大成され、歌曲や美し
い舞、ストーリー性が加わり、「能」が完成されました。さらに王朝文芸と
も混ざり合い、当時の権力者、足利義光に認められ庇護を受け、洗練された
高度な舞台芸能へと大成されていきました。

室町幕府崩壊の後は、戦国、安土桃山の様々な武将に愛され、保護されて
いきます。その後、江戸時代に入ると、幕府の式楽(公式行事等に演奏され
る公認音楽)となり、シテ方の流儀も五流と定められ約300年間、洗練と固
定の一途をたどります。明治維新で幕府の庇護がなくなり、その存在が一時
危うくなりました。

しかし、公家、旧藩主、高級官僚、豪商などが支援し、旧にも増して盛ん
になっていきます。さらに、第二次世界大戦後の混乱期にも大きな打撃を受
けて存亡の危機にさらされましたが、多くの人々の懸命な努力に支えられ、
よみがえり、わが国を代表する古典芸能として、今では海外からも高い評価
を受けて、今日に至っています。

◆狂言の歴史

狂言は能と同じく、直接には奈良時代に「雅楽」などとともに中国より渡
来した「散楽」の系統を継ぐ者であると考えられています。やがて、仏教の
芸能的要素の影響を受けて、猿楽本来の滑稽な物真似は狂言として、一方で
歌や舞は能として、それぞれ形態を確立していったと考えられています。狂
言はさらに時代とともに単なる物真似から進化して、様々な世相を風刺する
笑いの台詞劇として発展をしていきました。

鎌倉時代を経て、そして室町時代の初めに観阿弥、世阿弥親子により、猿
楽が現在の能楽とほぼ近いかたちに整えられたときには、狂言は能の座の中
に組み込まれました。豪華絢爛な桃山文化が隆盛を極めた時代には、狂言に
おいても名手が続出しました。室町時代後期から江戸時代初期にかけて、狂
言三流が成立し、多くの小規模な能学所属の狂言方も徳川時代の制度整備に
伴って、この三流に吸収されていきます。

能と同じく、明治維新により幕府の庇護を失うと、狂言の世界も混乱期に
陥ります。昭和に入り、現在の二流がそれぞれ活性されるに至ります。戦後
になり、名人や若手たちが精力的に活動を繰り広げた結果、狂言の芸位の高
さとその真価が広く認識されるようになり、今日では国内のみならず、海外
でも高い評価を受けるに至っています。

                >>>次号に続く

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