第十七回「八ヶ岳薪能」

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 第十七回「八ヶ岳薪能」

投稿日:2007年07月30日 09:35

■能 清経 きよつね

 世阿弥の描く滅びの美学。傾く平家の運命、雑兵(ぞうひょう)に討たれる不名誉を避けるために、この貴公子は、入水して極楽への道を選んだ。

 父・清盛の暴虐が止まぬならわが命をと薬を断ってみまかった平重盛(たいらのしげもり)の三男が清経である。長兄の維盛(これもり)も、戦線を離脱し、那智の沖に入水して果てる。「鬱」の遺伝子らしい。戦死した次兄の資盛(すけもり)は、建礼門院右京太夫(うきょうのだいぶ)の恋人として知られる。

 清経の亡霊は、絶望的な平家の将来を語り、笛を吹きすさび、心静かに死を迎えた状況を物語る。彼の魂は修羅道に堕ちるが、やがて死の瞬間の心の清らかさゆえに、成仏への可能性が開かれて、この美しく悲しい能は終わる。

 なお、「私の作品はすべて能です」という作家・秦恒平(はたこうへい)。その出世作が、太宰治賞を得た『清経入水』であった。

■狂言 呼声 よびこえ

 「ノリ」という言葉は、実は能と狂言が原点である。「呼声」は、その面白さに賭けられた、ほほえましく楽しい曲である。

 太郎冠者の無断欠勤。立腹した主人は次郎冠者を伴って彼の私宅へおもむく。次郎冠者が案内を乞うと、様子を察した太郎冠者は、隣の者と偽って居留守をつかう。主人も負けていない。作り声で「太郎冠者殿ウチにござるか」と呼びかけても同じ返答。「平家節(へいけぶし)」「小歌節(こうたぶし)」「踊節(おどりぶし)」と、さまざまな「ノリ」にのせられて、三人共に浮かれてしまう。

 中世歌謡のリズムとメロディを色濃く伝え、小品ながら見事な舞台が展開する。

■能 船弁慶 ふなべんけい

 世阿弥から二世代後の観世信光(かんぜのぶみつ)は、乱世の観客を魅するために、波乱万丈の面白さを能舞台に描いた。

 悲運の名将・源義経。兄に追われての都落ち。後を慕う静御前(しずかごぜん)。弁慶の進言で都に帰ることとなり、別離の宴がひらかれる。白拍子(しらびょうし)・静は思いをこめて舞い、けなげにも出船を促す。

 舞台は一転して海上となるが、平家の猛将・平知盛(たいらのとももり)の亡霊は、嵐を起こして宿敵の舟に襲いかかる。

 哀婉と豪壮、前後の変化の面白さ、作曲の妙。違う役を演じ分けるシテへの興味。ワキの弁慶も、狂言方の演ずる船頭も、シテと四つに組んで活躍する。

 なお義経を子方に演じさせるのは、能の主張である。「その時義経少しも騒がず」。凛然と響くボーイソプラノの効果も捨てがたい。

 今年は喜多流ばかりでなく、現代の能を代表する、友枝昭世(ともえだあきよ)、塩津哲生(しおつあきお)と、並び立つ名手に、地謡を香川靖嗣(かがわせいじ)という、贅沢を極める配役。しかも狂言の山本東次郎三兄弟の芸位は、まさに現演劇界の偉観と言えよう。
                          能楽評論家 増田 正造

2007年「八ヶ岳薪能」身曾岐神社 能楽殿

神事 舞台清め祓い式 宮司  坂田 安儀
解説 能楽評論家        増田 正造
能   清経             塩津 哲生
狂言 呼声             山本 東次郎
神事 篝火点火の儀       神   職
能   船弁慶           友枝 昭世

平成19年8月3日(金曜日)午後4時15分

http://www.misogi.jp/index2.html



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