奉納 第二十五回「八ヶ岳薪能」身曾岐神社

ライフスタイル総合研究所



 奉納 第二十五回「八ヶ岳薪能」身曾岐神社

投稿日:2015年06月24日 09:00

■能 天鼓 てんこ

悲しく美しい能である。後漢の時代。天から鼓が降ると夢見て懐妊し、生
まれた少年。天鼓と名付けられ、事実天から鼓が降り妙音を発した。取り上
げようとした皇帝の命に従わず山に隠れたが、探し出された少年は呂水に沈
められた。宮中に納まった鼓は誰が打っても鳴ろうとしない。老父が呼び出
される。簿氷を踏む思いで宮殿に上がった父。恩愛の故か鼓が鳴った。悔い
た皇帝は、数々の宝と共に水辺での音楽葬を命ずる。

水から浮かび出た音楽の天才少年は、恨みを訴えるよりも、愛する鼓との
再会を喜こんで舞い遊び、夜明けの光の中に消えていく。前段の哀愁の静と、
後半の音楽へ陶酔する動と。権力の横暴に対する芸術の勝利のテーマと見る
こともできよう。室町将軍の迫害の中で嫡男・元雅を死なせた、世阿弥レジ
スタンスの能とも言われたことがある。宝生宗家の若々しさが後の場面で生
きるが、前段の老体の演技の工夫に注目。

■狂言 墨塗 すみぬり

能の「砧」や「鳥追船」は故郷に残された妻の悲劇を描くが、訴訟で都に
上った夫のおかしさを狂言は描く。「墨塗」の大名はちゃっかり愛人を囲っ
ている。訴訟安堵して帰国に際し、別れ話の愁嘆場。女はさめざめと泣いて
男心をくすぐる。本国へお帰りになったら「妾はあとで何と致そう」。太郎
冠者が大名を呼び出す。あれはまことに泣くと思し召すか。逆に叱られた太
郎冠者は、水を入れた皿を墨とすり替えて置く。

女の本心を知った大名は、なんとか恥をかかせてやろうと、形見にするよ
う鏡を与える。そのようなものを見ればかえって思いを増鏡と女。「身共じ
ゃと思うて。たったひと目見ておくりゃれ」。かなりきわどい筋立てだが、
それをおおらかな品位で包み込むのが狂言の世界である。他の演劇でも磨か
れた野村萬斎の、按配のしどころが見もの。太郎冠者は萬斎の長男。

■能 船弁慶 ふなべんけい

兄頼朝にうとまれて義経の逃避行。後を慕う静御前。危急の折の同伴はい
かがという弁慶の諌めに従い、船宿で別れの宴が開かれる。もとより静は白
拍子。天下一の舞姫。涙ながらに出船を見送る静。嵐を起こして海上に襲い
掛かる平家の怨霊。「天鼓」とはまた異なる前後の変化の妙。平知盛の亡霊
に用いる宝生流の「霊怪士」の能面は、その凄愴さにおいて比類がない。

世阿弥の甥の子供、観世信光はドラマチックな能を創作して乱世を切り抜
けた。古来人気随一の能。シテとワキとアイ狂言と囃子方の芸比べの能であ
る。シテを勤める辰巳満次郎の艶麗と豪快の対比。日本一の能舞台の闇に映
える、水のイメージで統一されているのも演目のねらいである。

能楽評論家 増田正造氏

★奉納 第二十五回「八ヶ岳薪能」身曾岐神社
 http://www.just.st/index.php?tn=index&in=302069&pan=6845



https://www.lifestyle.co.jp/2015/06/post_790.html
コメントなどを募集中!
コメントしたことがない場合ライフスタイル総合研究所の承認が必要になります。承認されるまではコメントは表示されません。




ライフスタイル総合研究所について会社概要業務内容営業拠点 
Copyright(c) 1997 by (株)ライフスタイル総合研究所